「大峰山女人禁制」の開放を求める会(以下「求める会」)では、2014年10月25日、岡山県美作市にある後山のフィールドワークを行いました。わたしたちは、後山が「女人禁制」であることを知っていました。しかし、どの場所がどのように「女人禁制」であるかは定かではありませんでした。「大峰山」のようにある一定の領域が頂上まで「女人禁制」とは違うことはわかっていました。なぜなら後山は登山コースとして男女がともに頂上(1344.6m)まで登山することができるからです。 「求める会」では、やっと後山の「女人禁制」の場所へ行くことができました。そもそも後山は、「大峰山」を「前山」として、その後ろにある西の大峰になぞらえて「後山」といいます。 「求める会」のメンバー6人と岡山の友人2人が参加しました。後山キャンプ場に車をおき、舟木山登山コースに入り、「行者山参道」に行きます。行者道といっても最初はまったく険しくなかったです。後山川にかかる「入峰橋」という橋を渡る頃から道はだんだん険しくなってきて、しばらく行くと、「垢離(こい)取場(とりば)」があります。そこは女性用の「垢離取場」であり、ここで穢れを落とします。 登り始めてどのくらい時間が経つのも忘れるくらい険しい道が続きます。わたしたちのなかに登った人がいないので、どこまで登れば「女人禁制」のところに着くのか見当がつかず、しんどさが増します。先頭の人の「着いた−。結界門があった−」という声に励まされ、やっとの思いで「女人禁制」の結界門のところへ到着しました。後から知ったのですが、後山キャンプ場から結界門まで、およそ2キロだそうです。「母講堂」(または「母御堂」)があり、その先が「是より女人禁制」の結界門となっています。女性の行者はここまで登ってくるのです。男女がともに登ってきても、ここで男性行者を見送ることになるのです。 結界門の横を流れている後山川が少したまり水のようになっていて、ここが男性用の「垢離取場」です。男性はここで穢れを落とし、結界門をくぐり抜けて奥の院をめざします。奥の院は、結界門から地図上で結界門までの倍ほどの長さに思えます。「垢離取場」は男性用が上流にあり、女性の「垢離取場」は下流です。ここでも男女の差が明らかに出ています。 わたしたちは、「女人禁制」の結界門に数歩入り、記念写真を撮りました。やっと登った結界門ですが、「大峰山」と地形的にはよく似ていると思いました。岩場があってきれいな川が流れているところ、そこで心も体もリフレッシュし癒されたのはないでしょうか。また、「大峰山」とは違っている点もありました。女性行者や信者は稲村ヶ岳というまったく別の山へ登って修行する「大峰山」ですが、後山は行者道の結界門までは男性といっしょに登ることができます。行者道はそれなりの修行の意味があると思われますが、女性はその先の奥の院に登ることを拒まれています。どれだけ辛い道であろうが、体力的に女性が登ることができないわけではありません。男性のなかにもそういう道を登ることができない人もおり、体力の違いをいうことはできません。「女人禁制」である結界門は、女性を排除する境界線であることを、ここでもまた確認することができました。 しばらく結界門のところにいて、来た道を下り、女人堂となっている護摩堂へ行きました。境内に立ち並ぶ水子供養の地蔵が印象的でした。 最後に、延命山地蔵院道仙寺を訪ねました。住職は檀家の法事で外出中だったため、住職の妻から話を聞くことができました。話をまとめると下記の通りです。 住職は現在67歳で 30年前に道仙寺に入った。 道仙寺は建長年間に僧徹雲が開いたもので、もともと現在の奥の院に本堂があったが、 慶長年間に豊臣秀吉に焼かれて、現在の場所に来た。 真言宗醍醐派のお寺で、檀家もあり、享保の頃からの過去帳も残っている。 岡山県北には、倉敷の五流尊龍院はじめ、五つの寺が結集している。 道仙寺のある後山は、奈良の大峰「前山」に対して、西の大峰「後山」である。 後山は「大峰山」と同じ、修験道の開祖役小角によって開かれたとされ、修験道の中心地として栄えてきた。 後山の修行は、大峰修行を終えて、その後で登る山とされていた。 役小角を心配して訪ねてきた母を帰したという言い伝えのある母講堂から、八合目、1000メートルの所にある奥の院行者堂までは、現在も「女人禁制」である。 母講堂の手前に、女性のための垢離取り場がある。女性たちはここで行をする。 ここから先は女性たちは入れない。講の跡継ぎが減ってきているが、女性の行者さん たちはたくさんいる。 「上がってもいいのなら、上がりますよ」と、女性たちは言うが、後山は、私有地と いうこともあって、遠慮してもらっている。 4月18日が山開けで、11月7日が山閉じである。5月8日には、卯月8日祭りとい って、春の大祭がある。 9月7、8日には、「柴燈護摩供養」がある。それが一番大きな行事である。 男性たち20人ほどが奥の院に泊まり込む。お米5升、お酒5升などいろいろなものを 準備をして1人15キロほどの荷物を担いで上がる。 昔ほどではないが、山の上の何もない所に泊まり込むので、そうめんの味噌汁が一番 のご馳走などと男性たちは話している。
(2015年 2月 1日 [日曜日])
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